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父と母

  • kualris
  • 1960年8月11日
  • 読了時間: 2分

父は車の運転免許をもっておらず、定年退職したら運転免許を取って軽自動車を買うんだといつも言っていたが、結局は実現することはなかった。

バイクが好きで、高校生の時は土曜日になると、高校までいつもバイクで迎えに来てくれていた。

帰道でラーメンを食べて帰り、家に着くと釣りの準備をして近くの池にマブナを釣りに行くのがあたりまえのようになっていた。

洒落た人で、臙脂に黒を合わせた洋服をよく好んだ。兄貴の靴を勝手に履い足りする人で、どこかに履いて行った靴を盗まれて、おふくろに文句を言われて逆切れし、似たような靴を買ってきてそっと靴箱に入れておいたりした。

私のスーツのベストも、畑仕事をするときに着ているのをおふくろに見つかり、怒られたりしていた。

あまり笑わない人で、余計な話をするような人ではなかった。人前で話すことは大の苦手で、挨拶をするときにはいつも声が震えてみている私の方まで緊張した。10年も年の離れた兄貴は当然ながら私よりも10年も長く父と付き合ってきたわけだが、兄貴は父のことをとても好きだったのだろう。

勝手に洋服を着られても、靴をなくされても、新婚の寝室にシケモクを探しに入ってこられても、父に文句を言っているところを一度も見たことがない。

後で聞いた話だが、シケモクがないと新しい煙草を持って行ったそうだ。

お葬式の時、職場の後輩の人が来て、どれほど世話になったか知れないと話してくれた時、母がケチな人だったですけどね。と話したら、「書場の人間で彼をケチな人だなんていう人は一人もいませんよ。どこに行っても後輩の食事代は必ず払ってくれていたし、本当に良い先輩でした」と言っていた。

言われてみれば、私に何かを買ってくれたり、食べさせてくれたりする時に、金がないなどとは一度も口にしたことはなかったなと、ふと思った。

そういう人間だったのだ。

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